2023.10.4
コイン解説&写真
フランス
成功する投資・アンティークコインの知識を深めよう!フランス編①
みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。
前回のイギリスに続き今回はフランスのコイン、歴史をお伝えしていきたいと思います^^
フランスのコインと歴史
アンティークコインのコレクターや投資家の間で人気が上がってきているのが、フランスのコインです。ルイ14世やナポレオンなど、誰もが知る歴史上の人物の肖像が刻まれているので、コインから歴史のロマンを感じることができます。
お金の単位も移り変わっており、絶対王政から共和制になると共に『エキュ』から『フラン』に移行しました。現在はユーロなのでどちらも耳馴染みが無い方も多いと思いますが、現在は使われていないからこそロマンがあるとも言えますよね。
今回は、特に人気があるフランスのアンティークコインとその背景にある歴史について見ていきましょう。
ルイ14世のエキュ銀貨
【1712年 ルイ14世 エキュ 銀貨】
ルイ14世が統治していた頃の通貨単位は『エキュ』でした。当時のエキュ銀貨は直径が約4センチもあり、現在のコインと比べるとかなり大きいです。
表面にはルイ14世の肖像が描かれているのですが、発行された年代が後になるほど年を重ねた姿が描かれています。1644年のエキュ銀貨の肖像はかなり若い印象ですが、1695年や1712年の肖像はおじいさんといった印象になります。(画像:1644年 ルイ14世 1/2エキュ銀貨)
ルイ14世はどんな人物?
ルイ14世は1643年から1715年まで在位したフランスの国王です。絶対王政の最盛期に王を務めたことから、「太陽王」とも呼ばれています。「朕は国家なり」と宣言したとされており、王の権力を示す絶対王政のシンボルともなっています。そこまで栄えた国王だからこそ、ルイ14世のエキュ銀貨には特別なロマンが詰まっています。
フランスの絶対王政とは、国王の権力が非常に大きく、中央集権化した政治形態のことです。基本的には王族、貴族、市民の3つの階級に分かれているのですが、弱体化した貴族と資本を持たない市民に対し、国王が絶対的な権力をふるいました。
5歳で国王になったルイ14世の時代は戦争が多かったのですが、それによって領土を拡大したり、海外の植民地化を進めたりすることができました。イングランドと同盟を組んでオランダへ侵略するなど、領土拡大のための侵略戦争を行い、全盛期には現在のフランスと同じくらいの面積まで拡大しました。
しかし、晩年のスペイン継承戦争では周辺のヨーロッパ諸国の圧力に負けて劣勢となり、ルイ14世の栄華にも陰りが見えてきます。さらにヴェルサイユ宮殿の建設によって国費が圧迫されたため、市民に重税をかけることになりました。度重なる増税によって市民の不満も爆発寸前まで行きました。
戦争によって領土を拡大したルイ14世ですが、そのことを悔いていたのでしょうか。亡くなる直前、後にルイ15世となる王太子には、戦争で勝利を求めても国費が圧迫されるため、真似をしないようにと言った、と伝えられています。
ルイ14世が建設に関わったヴェルサイユ宮殿
国費を圧迫して市民に重税をかける顛末となったヴェルサイユ宮殿ですが、その美しさや豪華さはさすがです。世界遺産にも登録されており、フランスが世界に誇る文化的な建築なのは間違いありません。
(画像:幾何学模様や左右対称のフランス式庭園)
ヴェルサイユ宮殿は、「有史以来、最も大きくて豪華な宮殿を」というルイ14世の命によって作られました。当時の芸術家たちが動員され、1661年の着工から50年かけて完成された素晴らしい建築で、「世界一豪華な宮殿」とも言われています。(画像:煌びやかでド派手な鏡の間)
また、当時の王と王妃の生活は朝起きてから寝るまで公開されていました。朝は医師や側近など許可された者たちが次々に寝室に入り、王の洗顔や洗髪が行われたそうです。起床の儀式には100名も参加したそうで、現代の私たちの感覚では理解が及びませんが、それだけ王の権力が凄まじかった、ということでしょうか。
ルイ16世のエキュ銀貨
ルイ14世の後はルイ15世が国王となりましたが、その次のルイ16世のお話をしたいと思います。王妃マリー=アントワネットとともに、夫妻はフランスの絶対王政の終焉の象徴です。ルイ16世の肖像が描かれたエキュ銀貨は、フランス革命を彷彿とさせる逸品と言えるでしょう。
ルイ16世のエキュ銀貨も、直径が4センチ近くて大きなコインです。彼が在位した1774年から1792年にかけて発行されたエキュ銀貨は、大量に発行されたため見かける機会は多いものの、状態の良いものは少なく希少となっています。
ルイ16世はどんな人物?
王妃のマリー=アントワネットが美しく社交的な人物として描かれるのに対し、ルイ16世は鈍臭くてお堅い人だというイメージは無いでしょうか?伝記やそれを基にした漫画では、アントワネットが華麗に描かれるためか、対比されるルイ16世は間抜けな人物とされてきました。しかし、最近ではそのイメージはやや偏っているのではないかとされ、人物像が修正されてきています。
例えば、軍事のセンスに優れ、強い海軍を築きました。イギリスの海軍に対抗するためにフランスも海軍を強化し、ルイ16世も指揮を執っています。
実際、イギリスの植民地だったアメリカの独立戦争にアメリカ側として参戦すると、フランス海軍はイギリス海軍を撃破するほど強かったのです。
フランスの助けもあり、アメリカはイギリスとの独立戦争に勝利することができました。
ルイ16世は拷問や農奴制の廃止など、人道的な政治改革にも取り組んだため、時代が違えば善良な国王として尊敬を集めていたのではないか、と言われています。
ギロチンで処刑されるときに「人民よ、私は無実のうちに死ぬ」、「私は私の死を作り出した者を許す。私の血が二度とフランスに落ちることのないように神に祈りたい」と言ったとされています。
愚鈍・間抜けといったイメージとは違い、実は気高い国王だったとも考えられるのです。ルイ16世の肖像が刻まれたエキュ銀貨を持つことは、彼の誇りを受け継ぐことにもなるでしょう。
ちなみに、ギロチンは苦しめずに処刑することができるため、「人道的な処刑の道具」として導入されました。その際、刃の角度を斜めにするように助言したのは、皮肉なことに工学や金属の知識があったルイ16世本人でした。
悲劇の王妃マリー=アントワネット
一方でルイ16世の妻マリー=アントワネットはというと、確かに好奇心旺盛で自由奔放な性格であり、ルイ16世の真面目さとは合わなかったかもしれません。しかし、彼女が発案したものは現代まで受け継がれており、影響力の大きさを知ることができます。
例えば、ハンカチの形を正方形に決めたのもアントワネットです。当時のハンカチは長方形や三角形など色々な形があったのですが、アントワネットは自分が他人と同じものを持つのが嫌だったようで、「この形を使って良いのは私だけだから、他の人は正方形にして」と言ったそうです。現代でもハンカチは基本的には正方形なので、私たちもアントワネットに気を遣っているように感じられて面白くはありませんか?
他にも、シャンパンタワーに使うようなお椀型のシャンパングラスは、彼女の胸の形から生まれたと言われています。定かではないのですが、アントワネット本人が作らせた、との説もあります。
アントワネットはハプスブルク家とブルボン家の政略結婚のためにフランスに嫁いだのですが、もし現代に生きていたら、名デザイナーになっていたかもしれません。
なお、国の財政難や増税が市民に不満を募らせ、フランス革命に至ったのですが、これはルイ16世やアントワネットだけのせいではありません。
先述したとおり、ルイ14世の頃から積み上げられた負債です。
「パンが無ければお菓子を食べれば良いじゃない」というフレーズが有名なため、フランス革命の原因はアントワネットの贅沢な暮らしだと思われているのですが、理由はそれだけではないのですね。
次回もフランスのコイン、歴史についてお伝えしていきます!
みなさんにアンティークコインで幸あれ!