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2023.10.10

コイン解説&写真

イタリア

成功する投資・アンティークコインの知識を深めよう!イタリア編①

みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。

前回のフランスに続き今回はイタリアのコイン、歴史についてお伝えしていきたいと思います^^

イタリアの歴史を見てみると、古代ローマ帝国として繁栄したのがピークで、その後は帝国が分裂したり、他の国の支配下に入ったりと、あまりパッとしない印象です。
アンティークコインも、ローマ帝国時代のものに人気が集中しています。

というわけで、この記事でもローマ帝国のコインと歴史を中心に見ていくことになります。
その他の時代のことも補いますので、まずは古代からのイタリアの歴史を見ていきましょう。

(画像:アナトリア半島におけるリディアの位置(紀元前547年頃))

イタリアにおけるコイン製造の始まり

世界で初めてコインを作ったとされているのが、現在のトルコにあった「リディア王国」という国でした。紀元前7世紀頃にリディア王国で初めて金と銀の合金でできた金属貨幣(エレクトラム貨)が作られ、その技術が古代ギリシャに伝わり、ギリシャでも貨幣の製造が始まりました。

当時のイタリアにあった古代ローマ帝国に貨幣の製造技術が伝わるのは、紀元前5世紀~紀元前3世紀です。古代ギリシャの都市と貿易するようになり、ギリシャでは銀貨によって物の取引をしていることを知りました。これがきっかけとなり、古代ローマもコインの製造を始めた、と解釈されています。

ローマ帝国では、青銅貨や銀貨が主に作られていました。
(画像:紀元前240年から225年ごろのアス青銅貨)

五賢帝時代のローマ帝国とそのコイン

紀元前1世紀末から2世紀の終わり頃までの地中海世界の安定を、ローマの平和という意味の「パックス=ロマーナ」と呼びます。ローマ帝国のアウグストゥスの即位から五賢帝時代まで、大きな戦争が無く、ローマ帝国による支配によって平和がもたらされたためです。

五賢帝とは、ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス=ピウス、マルクス=アウレリウス=アントニヌスの5名の皇帝のことです。彼らが統治した時代がローマ帝国の最盛期だったこともあり、まとめて「五賢帝」と呼ばれています。関連する金貨と皇帝たちの功績について見ていきましょう。

トラヤヌスのアウレウス金貨

トラヤヌスは、ローマ帝国の領土を最大に広げた皇帝です。ダキア戦争でダキア(現在のルーマニア)を征服し、パルティア遠征によってペルシア湾岸まで到達しました。領土が広大になりすぎたため、東方は放棄せざるを得ませんでしたが、領土を最大にした皇帝として高い名声を誇っています。

当時のアウレウス金貨には、表面にトラヤヌスが、裏面に太陽神ソールが刻まれています。両面ともに大きく肖像があしらわれているので、シンプルながらも迫力のあるデザインです。

ハドリアヌスのデナリウス銀貨

トラヤヌスの頃まではローマ帝国は領土を拡大し続けてきましたが、トラヤヌスの時代になると拡大するよりも、維持することが重視されました。領土を守るために城壁が築かれ、イギリスにあるローマ帝国の世界遺産「ハドリアヌスの長城」はとても有名です。

当時のデナリウス銀貨には、表面にハドリアヌスの肖像が、裏面には女神の全身像が刻まれています。裏面のデザインはバリエーションがあるので、見た目が気に入ったものをコレクションするのも面白いでしょう。

アントニヌス=ピウスのアウレウス金貨

アントニヌス=ピウスの時代は、ローマ帝国の歴史で最も平和だったと言われています。彼も領土拡張には積極的ではありませんでしたが、ハドリアヌスの長城の北に第二の城壁「アントニヌスの長城」を築いたり、ユダヤ人やエジプト人の反抗などを治めたりし、領土の維持に務めました。

当時のアウレウス金貨には、表面にアントニヌスの肖像が刻まれています。裏面のデザインはさまざまですが、勝利の女神をあしらったものなどがあります。

マルクス=アウレリウス=アントニヌスのアウレウス金貨

マルクス=アウレリウスはストア派の哲学者でもあったため、「哲人皇帝」と呼ばれています。パルティアの反抗が激しくなったことや、ゲルマン人が侵攻してきたことなどから、対応に追われて出征を繰り返しました。

当時のアウレウス金貨には、表面にはマルクス=アウレリウスの肖像が、裏面はさまざまですが、勝利の女神が刻まれたものなどがあります。勝利の女神には翼が生えており、天使のように美しい姿がデザインされています。

コンスタンティヌス1世による通貨制度改革

ローマ帝国で作られる金貨は、年代が経つにつれて金の含有量が減っていき、価値が下がっていきました。昔の通貨は、貴金属で作られているからこそ価値が担保されていたので、経済の混乱を招くことになります。

現在とは異なる感覚なので、少し詳しく説明していきましょう。例えば日本のお金だと、500円玉の原価は約5円、1万円札でも約20円です。原価と額面がこれだけ離れているのに、私たちが「1万円札には1万円の価値がある」と信じているのは、日銀が価値を保証しているからです。もし日銀が無かったら、500円玉には5円、1万円札には20円の価値しか無いかもしれない、と思うと恐ろしいですよね。

ローマ帝国にはもちろん信用を保証する中央銀行など無かったですし、当時の人々は貴金属としての価値とお金の価値はある程度は比例するという認識でした。そのため、額面が同じであっても、古くて金の含有量が高いコインの方が新しくて金の含有量が低いコインよりも価値があると考えていました。

これにより、取引が大混乱してしまうことになります。1枚のアウレウス金貨でも、製造された時期によって価値が違うので、「古い金貨なら1枚で良いけど、新しい金貨は2枚以上でないと交換しないよ」と商売相手に言われてしまうことになったのです。

そこでコンスタンティヌス1世が通貨制度の改革を行い、新たにソリデゥス金貨を定めました。これで解決するかに思われたのですが、貴金属不足からローマ帝国は深刻なインフレに陥ってしまいました…。

アンティークコインのコレクターや投資家が押さえておきたいのは、コインの年代によって金の含有量が異なることです。基本的には古い方が金の含有量が多く、貴金属としての価値も高いので、投資価値も高いと考えられます。

コンスタンティヌス1世のソリドゥス金貨

コンスタンティヌス1世時代のソリデュス金貨の表面には、彼の肖像が刻まれています。裏面のデザインはさまざまですが、中央にコンスタンティヌス1世が立ち、その横に跪く人が描かれているものが面白いです。皇帝の支配力や統治力を表していると考えられますが、こんなデザインの金貨が流通したら、支配されていることに不満がある人は怒りを感じたのではないでしょうか。

ソリドゥス金貨は、ローマ帝国時代の地中海貿易の繁栄のシンボルでもあります。歴史のロマンを感じさせてくれるコインの一つと言えるでしょう。次の章で触れる東ローマ帝国にも引き継がれ、「ノミスマ」という名前で呼ばれるようになりました。

いかがでしたでしょうか?次回は帝国の分裂と滅亡から現代までのコインと歴史についてお伝えします。

みなさんにアンティークコインで幸あれ!