2023.12.11
エジプト
成功への第一歩!アンティークコイン投資・国の知識を深めよう「古代エジプト編②」
みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。
前回に引き続き古代エジプトのコインと歴史をお伝えしていきたいと思います。
第2中間期
中王国時代と新王国時代の間である紀元前2200年頃~紀元前1570年頃までの時代を、第2中間期と言います。第13王朝~第17王朝までの時代です。第1中間期と同様、統一を失って混乱した状態になりました。
エジプトの王権が衰えただけでなく、オリエント全体で民族移動が起こったため、混乱期に突入しました。紀元前1680年頃には、馬や戦車を使うヒクソスという民族にエジプト全土は占領されてしまいます。ヒクソスに支配された時代が第2中間期で、馬と戦車がエジプトに伝わる異文化の流入がありました。
(画像:肌色が薄いのが「ヒクソス人」、褐色が強いのが「エジプト人」)
セケネンラー2世がヒクソスと戦ったことが、支配から抜け出すきっかけとなりました。戦いには敗れたものの、セケネンラー2世の息子であるカーメス王とイアフメス王によって再びエジプトが統一されました。こうして新王国時代へと繋がっていきます。
新王国時代
新王国時代は、紀元前1570年頃~紀元前1070年頃までで、第18王朝~第20王朝までの期間です。古代エジプトの最盛期となる時代です。トトメス3世、アメンホテプ4世、ツタンカーメン王、ラムセス2世…とよく知られているファラオも、新王国時代が多いです。
新王国時代は解説したいファラオが多いので、ファラオごとに見出しを分けて紹介していきます。
トトメス3世
(画像:トトメス3世像(ルクソール博物館蔵))
トトメス3世は紀元前1505年頃、6歳の若さでファラオになりました。実際の政治は義母であるハトシェプスト女王が執り行っています。
そのため、ハトシェプスト女王がファラオとして実権を握ったかのような説明がされることがありますが、それは正確ではありません。実際には「女王」ではなく、トトメス3世の代わりに実務を執り行っていた、という関係です。
エジプト最大の王とも言われるトトメス3世が実権を握ったのは、29歳のときのことでした。ハトシェプスト女王が取った平和政策を完全否定し、シリアやナイル川上流へと軍事遠征に出て、領土を広げていきます。エジプト史上で最大の帝国を築いたため、「エジプトのナポレオン」とも呼ばれています。
トトメス3世はハトシェプスト女王を嫌っていたのか、壁画の中の女王が描かれた部分はすべて削り取って抹消してしまいました。そのため、長らく彼女が政治を執り行っていたことは忘れ去られていました。これには、女王が嫌いだという個人的な感情のためか、女性が政治の実権を握った事実を無かったことにするためか、諸説存在します。
アメンホテプ4世
(画像:アメンホテプ4世の胸像 (エジプト考古博物館蔵))
紀元前1350年頃に即位したアメンホテプ4世も、古代エジプトを知る上で重要なファラオです。当時のエジプトでは多神教が信仰されていましたが、アメンホテプ4世は唯一神アトンを崇拝するアトン信仰を強行する宗教改革を推し進めました。テーベからテル・エル・アマルナに遷都し、アメンホテプ4世自身の名前を「イクナートン」と改名しました。イクナートンとは、アトン神を喜ばせるもの、という意味です。
アメンホテプ4世の時代には、エジプトには珍しい写実性を特徴とするアマルナ美術が生まれました。王妃ネフェルティティの胸像や、ツタンカーメンの黄金のマスクなどがアマルナ美術の代表例です。エジプトの絵画や彫刻には独特の様式がありますが、アマルナ美術は異なり、写実的で現代の感覚でも美しさを感じられる作例が多いです。
ツタンカーメン
次に紹介するのが、ご存じツタンカーメン王です。ですが、ツタンカーメンの名前は王名表には刻まれておらず、存在を抹消された王と言われています。
その理由は、アトン信仰の時代においてツタンカーメンがアメン神を信仰していたから、とされています。正確には、ツタンカーメンはアトン信仰からアメン信仰に改宗したファラオです。
王になってから2年、当時12歳のときに改宗しているのですが、幼かったため本人の意志ではなく宰相アイによって改宗させられた、とも言われています。アイが実権を握るために、目の上のたんこぶのツタンカーメンを暗殺したのでは…という説もあります。実際、若くして亡くなったツタンカーメン王の次は、アイがファラオになりました。
ラムセス2世
ラムセス2世は第19王朝のファラオです。ラムセス2世は遠征に力を入れたファラオで、特にヒッタイトとの戦いである「カデシュの戦い」が有名です。エジプト側の記載では「自分たちが勝った」と書かれており、ヒッタイト側も「自分たちが勝った」と書いている、コメディのような史実が残っています。
実際には引き分け状態で停戦となり、紀元前1269年頃にエジプトとヒッタイトとの間で平和同盟条約が交わされています。これは世界で最も古い国際条約と考えられています。
また、ラムセス2世は建築王としても知られており、アブ・シンベル神殿など有名な建築を残しています。
第3中間期と末期王朝時代
新王国時代と末期王朝時代の間である紀元前1070年頃~紀元前525年頃までを第3中間期と呼びます。第21王朝から第26王朝までの時代です。
この頃、オリエント世界の文明は鉄器を使うようになってきましたが、鉄を輸入に依存していたエジプトは植民地を失って衰退していきます。一方、メソポタミアのアッシリアが力を増して征服を拡大しており、エジプトもアッシリアに征服されました。メソポタミアからエジプトまでを含む巨大なアッシリア帝国が誕生しました。
その後、オリエントは新バビロニア王国、メディア王国、リディア王国、エジプトの4つに分裂しました。
エジプトがアッシリアやペルシアの支配を受けていた時代を、末期王朝時代と言います。
リディア王国のエレクトラム貨
エジプトとは異なりますが、リディア王国はコインの歴史においてとても重要な国です。世界で初めて金属貨幣を導入したと考えられているからです。
世界初の金属貨幣とされているのが、リディア王国のエレクトラム貨です。金と銀の自然合金「エレクトラム」でできているため、このように呼ばれています。
エレクトラム貨の表面には、王家を象徴するライオンの横顔が描かれています。簡素なデザインや小石のようにいびつな形が特徴で、古代コインらしく人気があります。中世以降のコインと違い、素朴なのが古代コインの魅力と言えるでしょう。
次回は古代エジプトのコインをメインにお伝えします。
みなさんにアンティークコインで幸あれ!