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2023.11.3

コイン解説&写真

スイス

成功への第一歩!アンティークコイン投資・国の知識を深めよう「スイス編①」

みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。

今回はスイスについてです。スイスといえば「アルプスの少女ハイジ」を思い出す方が多いのではないでしょうか。アルプスのあたりは本当にのどかで、食べ物もおいしく平和で理想的な場所です。

スイスは永世中立国であり、二度の世界大戦にも参戦しなかった国でもあります。フランス・ドイツ・イタリアとヨーロッパで影響力の大きい国に囲まれているのにも関わらず、我が道を行くといった印象なのではないでしょうか。

そんなスイスも、他国に翻弄されてきた歴史があります。また、有名なコインもあるのでアンティークコインの投資家にもぜひ理解を深めていただきたい国です。この記事では、スイスのコインと歴史についてお伝えしていきます。

被支配の歴史

スイスはヨーロッパのほぼ中央にあるため、さまざまな民族が行き交う交通の要所でした。もともとはケルト人系のガリア人が住んでいましたが、ユリアス・カエサルの遠征などによってローマ帝国の支配が進み、紀元前15世紀までにアルプス全域がローマ帝国の支配下に入りました。その後、長きにわたって平和が続きます。

4世紀以降のゲルマン大移動によって、スイス西部にはブルグンド人が入り、ブルグンド王国を作りました。ブルグンド王国は534年にフランク王国に滅ぼされています。

フランク王国はヨーロッパの大部分を占める大国となり、現在のスイスがある地域も含まれていました。843年になるとフランク王国は3分割して相続され、概ねドイツ・フランス・イタリアの3つに分かれました。スイスがある地域は分割され、スイス中央部はイタリアを中心とする中部フランク、東部はドイツを中心とする東フランクの一部となりました。東フランク王国はマジャール人の撃退に成功するなどして、神聖ローマ帝国としてヨーロッパでの覇権を握っていきます。

ヘルヴェティア スイスフラン銀貨

スイスのコインを集めていると、「ヘルヴェティア」という名前をよく目にします。額面はさまざまですが、表面に「ヘルヴェティア」という女神が描かれている銀貨は、スイスを代表するコインの一つです。長期間にわたって発行されており、そこまで値上がりしているわけではないのですが、知っておいて損はありません。(画像:ヘルヴェティア 1スイスフラン銀貨 )

スイスがある地域には「もともとケルト人系のガリア人が住んでいた」と説明しましたが、この部族のことをヘルウェティイ族と言います。この地がローマ帝国にのヘルヴェティア属州であり、彼らがその地を「ヘルヴェティア」と呼んでいたため、スイスの古名は「ヘルヴェティア」です。

スイスは公用語が4つもあるので、何かを書くときはすべての言語で書くなど、日本人には想像しにくい複雑さも持っています。国名をすべての言語で書くことも、どれか一つの言語で書くことも不都合な場合、今でも「ヘルヴェティア」が使われています。

スイスの古名と女神が描かれたスイスフラン銀貨は、国の始まりを象徴するコインです。「ヘルヴェティア」の名前だけでも、覚えておいて損は無いでしょう。

ハプスブルク家の支配とスイスの始まり

ハプスブルク家はもともとスイス出身の貴族で、神聖ローマ皇帝に就いて拠点をウィーンに移してからも、スイスは統治下におかれて圧政を加えられていました。

スイス連邦が誕生したのは、ハプスブルク家の支配を受けていた1291年とされています。中央スイスのウーリ州、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州がハプスブルク家に対抗するため、1291年8月1日に誓約同盟を結んだのが始まりです(原初三州)。8月1日は現在もスイスの建国記念日とされています。

1315年には原初三州がオーストリア公レオポルド1世を撃退し、1316年には原初三州の独立が認められました。その後、他の州も加わって8州がまとまりました。

ハプスブルク家はスイスの統治権を回復しようと攻め込みますが、スイス側が勝利を収めます。1389年には実質的には独立が認められ、ハプスブルク帝国からは分離することになりました。

ウィリアム・テル スイスフラン銀貨

オペラで有名なウィリアム・テルの伝説は、スイスの独立運動の頃の話です。ウィリアム・テルは5スイスフラン銀貨などの肖像にも描かれており、ウーリ州に住んでいたとされる伝説上の人物です。どんな伝説なのか、あらすじを簡単に紹介しましょう。

ウーリ州のアルトドルフにやってきたゲスラーは、中央広場にポールを立てて自分の帽子をかけ、その前を通るときに頭を下げるよう民衆に強制しました。しかしテルは頭を下げなかったため、逮捕されてしまいます。ゲスラーは、テルの息子の頭の上にリンゴを置き、それをテルが矢で射抜くことができたら、自由にしてやると約束しました。

テルは見事にこれに成功するのですが、矢を2本持っていたことをとがめられます。2本持っていたのは、失敗したらゲスラーを射抜いて殺害するためだと答えます。当然ゲスラーは激怒し、自由の身になるはずだったテルは再び捉えられてしまいます。

しかしテルは姿をくらまし、ゲスラーを射抜いて殺害します。街へ戻ったテルは英雄として迎えられた、という結末です。

現在は、ウィリアム・テルは実在しない伝説上の人物ではないかとされていますが、このお話からは「オーストリア憎し」の感情がひしひしと伝わってきます。当時の社会や人々の思いが反映されている、歴史的にも興味深いストーリーです。

次回は三十年戦争以降のスイスについてお伝えします。

みなさんにアンティークコインで幸あれ!