2024.02.5
コイン解説&写真
フランス
近代
異色ポジションの人物コイン『フランス アンリ5世の5フラン銀貨(1831年) 試鋳貨②』
みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。
前回に引き続きイギリスのコインの価格が激しく高騰する中、アンティークコインのコレクターや投資家が目を向けている国の一つ、フランスのコイン『フランス 1831年 アンリ5世 5フラン 銀貨』の試鋳貨についてです。
フランスもブルボン王家やナポレオン家などが統治してきた歴史があり、コインの肖像や発行も系統立っているため、コインのコレクションは比較的にやりやすい方です。
生い立ちと王位継承権
アンリ5世は1820年、シャルル10世の次男であるベリー公シャルル・フェルディナンと、シチリア王女マリー・カロリーヌの間に誕生しました。ベリー公はアンリ5世が生まれる7ヶ月前に暗殺され、ブルボン王家直系の男子が途絶えると言われたときに誕生したため、「奇跡の子」としてもてはやされました。
1830年の7月革命の後、シャルル10世はアンリ5世に王位を譲ろうとしましたが、オルレアン家のルイ・フィリップが、宣言書のアンリ5世を王位継承者とすると書かれた部分を読みませんでした。議会は王位継承者としてルイ・フィリップを指名したため、アンリ5世の即位は立ち消えとなりました。
しかし、ルイ・フィリップは民衆からの人気がなく、アンリ5世とナポレオン2世の方に人気が集中していました。新政府はブルボン家やナポレオンの親族を追放するかと思いきや、「追放者ではあるが、フランスに帰ってきたことで死刑にはならない」という結論を出しました。民衆も、アンリ5世がシャルル10世から王位を譲られたことを知っていたからです。
第二帝政の崩壊
1871年、フランスは普仏戦争に敗北し、ナポレオン3世による第二帝政が崩壊しました。これはアンリ5世にとって王政を復活させ、フランス国王になる好機でした。
アンリ5世は1873年にパリに戻り、フランス王への即位は必至と思われました。ところが、上述したとおり、フランスの旗としてトリコロールを受け入れることを拒否したため、即位と王政復古の機会を逃してしまいました。トリコロールを受け入れることは、アンリ5世にとってフランス革命の精神を受け入れることであり、本人の頑固さもあって断固拒否したためです。
かくして王政復古は果たされず、フランスは第三共和政へと移行していきました。アンリ5世は再び国外に亡命することになりました。
まとめ
アンリ5世の肖像が刻まれた5フラン銀貨の試鋳貨について解説してきました。巡り合わせや本人の頑固な性格のためか、王に即位することはありませんでしたが、それゆえに興味深い歴史上の人物であると言うこともできます。
ご紹介してきた5フラン銀貨の試鋳貨は裏面に3つのフルール・ド・リスがあしらわれていることもあり、アンリ5世はブルボン家で最後の王位継承候補者となったことを象徴するコインです。枚数が少ない試鋳貨でグレードが高いものは値上がりしやすい傾向にありますし、チャンスがあったらぜひコレクションに加えることを検討していただければと思います。
みなさんにアンティークコインで幸あれ!