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2024.03.1

コイン解説&写真

フランス

富裕層の資産防衛に大変人気がある「フランス ナポレオン3世 20フラン金貨②」

みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。

前回に引き続き「フランス ナポレオン3世 20フラン金貨」ナポレオン金貨についてお伝えします。コインの基本情報はこちら

ナポレオン3世について

フランス人に評判を聞くと、ナポレオン1世は人気があるのに対し、ナポレオン3世はそうでもありません。あまり派手な功績が無く、またナポレオン1世の評判が高すぎて、その身内の割には…という評価なのかもしれません。

しかし、ナポレオン3世はフランスの近代化に大きく貢献した人物で、フランスの歴史を語る際には欠かせません。この章では、ナポレオン3世の主な功績を紹介していきます。

銀行改革

ナポレオン3世はパリ割引銀行や商工信用銀行を作り、中小ブルジョワジーの資金繰りを支援しました。当時の銀行は国と大金持ちの貴族しか相手にしておらず、資金繰りに苦しむ者が大勢いたからです。産業や商業向けの銀行も設立し、銀行や鉄道網の整備に資金を使えるようにもなりました。一般大衆の資金を集めて大きな事業に融資ができるようになり、近代化に貢献したのです。

また、ゴールドラッシュの後にフランスには大量の金が流入しました。これを加工して大量に発行したのがナポレオン金貨ですが、フランスの銀行への信用は拡大し、産業の発展に貢献しました。

パリの近代化

公共事業としてはパリ大改造が有名です。現在のパリは美しい街並みですが、そのほとんどがナポレオン3世の時代に整備されたものです。整備される前のパリは細い路地に人が密集し、疫病や悪臭が発生していました。

不衛生な状態でしたが、セーヌ県知事オスマンに命じ、上下水道を整備し、道路は凱旋門を中心とした放射上に伸ばし、細くて複雑な小道をなくしてスッキリとパリの街を整えました。そのおかげで疫病や悪臭は改善し、現在のような美しい街になりました。

ビスマルクに敗北して失脚

内政外政ともに功績を残しているナポレオン3世ですが、失脚は情けない結果となりました。その情けない姿勢のため、フランス人からの評価が低いのかもしれません。

当時、ドイツ統一を目指して力をつけていたプロイセンのビスマルクは、ヨーロッパの大国であるフランスを倒すことで地位を確立しようとしていました。しかし、フランスとの火種が無かったため、戦争に持ち込むことはできません。

そこで、ちょうど良いタイミングでスペインの王座が空いたので、プロイセンの王族を推薦しました。これが認められると、ドイツとスペインに挟まれるフランスは同じ王族に挟まれてしまいます。フランスとしては、挟み撃ちになる前に対処しておかなければなりません。

そしてナポレオン3世がビスマルクの挑発に乗るような形で普仏戦争が勃発しました。しかしプロイセン軍は圧倒的な強さを誇り、開戦から1ヶ月半でナポレオン3世が降伏して捕虜として捉えらえる結果になってしまいました。短期決戦でフランスの敗北が決定します。

あまりにも短期間で決着がついたことや、皇帝が捕虜として捉えられたことに対して民衆の怒りや呆れが爆発し、ナポレオン3世は失脚となりました。

まとめ

ナポレオン3世の20フラン金貨と、彼の功績について解説してきました。失脚は情けない姿かもしれませんが、銀行改革やパリの近代化など、現代のフランスにとって重要な基礎を築いた皇帝でもあります。ナポレオン金貨を手にして、その歴史の重みを体感してみていはいかがでしょうか。

みなさんにアンティークコインで幸あれ!