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2024.04.3

コイン解説&写真

フランス

ご存じですか?大変珍しい代用貨幣「フランス ナポレオン3世のジュトン銀貨 ②」

みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。

前回に引き続き八角形の形をした「フランスのナポレオン3世のジュトン銀貨」について紹介します。このジュトン銀貨は大変珍しく、PCGSで鑑定されたものはたったの2枚となっています。コインについての情報はこちら。

ナポレオン3世について

ここからは、ジェトン銀貨の表面に描かれているナポレオン3世について解説していきます。ナポレオン3世は、有名なナポレオン・ボナパルトの甥にあたる人物で、フランス第二帝政の皇帝として君臨しました。

ただし、ナポレオンの失脚からナポレオン3世の即位までには紆余曲折がありました。1815年にナポレオンが失脚すると、国外亡命や武装蜂起失敗による獄中生活を送ることになります。ナポレオンの失脚後、王政復古でブルボン朝が支配を取り戻し、フランスでは再び王政が始まりました。

フランスが再び共和政となったのは、1848年の二月革命がきっかけでした。パリ市民の抗議活動に対して衛兵が発砲して死者が出たことから対立が激化し、当時の国王であったルイ=フィリップ亡命して王政が倒れました。その後は臨時政府が統治するも政情は安定せず、年末にナポレオン3世が大統領選挙で当選し、フランスは第二帝政に入っていきます。(ルイ=ナポレオンがナポレオン3世として皇帝に即位したのは1952年)

ナポレオン3世の内政

ナポレオン3世は、ナポレオン1世と似た「ボナパルティズム(ボナパルト風)」の政治を行いました。皇帝のみが法案を発議し、立法の最終的な拒否権を持ち、大臣の指名や罷免もできる権力を持っていました。現在の民主主義から考えると独裁的ですが、「国民投票」の存在により、民主的独裁の体裁を保っていました。

とはいえ、皇帝が直接国民を管理するような体制であり、国内に目立った混乱は起こりませんでした。国民をうまくまとめていた、とも言えるでしょう。

フランスの近代化

ナポレオン3世の功績として広く知られているのが、パリ大改造による近代化です。当時のパリは下水道が整備されておらず不衛生であり、低所得階級の人々が集中する過密地域であったため、伝染病が広がりやすく常に悪臭がする酷い状態でした。

ナポレオン3世はセーヌ県知事ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンとともに「パリの外科手術」とも呼ばれるパリ大改造に乗り出しました。上下水道の整備のみならず、エトワール凱旋門から放射状に大通りを整備したり、公園を整備したりもしました。交通網が整備されたことによって物流は飛躍的に改善しました。

中世以来の複雑な路地が激減したため、反政府勢力が反乱を起こしにくくなるという政府にとってのメリットもあり、治安も向上しました。現在、花の都パリとして世界中の憧れの都市である背景には、ナポレオン3世とオスマンによるパリ大改造があったのです。

ナポレオン3世の外政

ナポレオン3世は他国との戦争に勝利することで国民から支持を得ていたところがあり、対外戦争の連続でした。皇帝に即位した直後である1853年のクリミア戦争での大勝は国民からの支持の獲得に貢献しました。

一方、1870年の普仏戦争での敗北によってナポレオン3世は退位せざるを得なくなりました。ドイツの統一を目指すプロイセン王国のビスマルクは、フランスとの衝突は避けられないとして軍備を整えていました。スペイン王位継承問題での対立をきっかけに普仏戦争に突入し、1870年にはナポレオン3世自身が捕虜となり、退位することとなりました。

まとめ

ジュトン銀貨とナポレオン3世について解説してきました。代用貨幣は政府が発行する正式な貨幣ではないものの、代用貨幣が出回った当時の歴史を象徴するものであり、コレクターにも人気があります。

よく知られており皆が欲しがるコインと違い、代用貨幣は知る人ぞ知る珍しいコインです。一期一会かもしれないので、機会があればコレクションに加えることを検討してはいかがでしょうか。

みなさんにアンティークコインで幸あれ!