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2023.11.20

コイン解説&写真

チェコスロバキア

成功するアンティークコイン投資・国の知識を深めよう!「チェコスロバキア編②」

みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。

前回に引き続きチェコスロバキアのコインと歴史をお伝えします。

ナチスドイツの支配と解体

1938年、オーストリアを併合したナチスドイツのヒトラーは、チェコの一部であるスデーテン地方にドイツ系の住民が多く住んでいることを理由に、スデーテン地方を割譲するようにチェコ政府に迫りました。

この事態を重く見たイギリスの首相チェンバレンは、ヒトラーと話し合いの場を持ちました。それがミュンヘン会議です。しかしヒトラーは、チェンバレンがドイツ側の要求を飲むことで戦争を回避しようとしているのを見透かしていたため、要求を釣り上げていきます。チェコはチェンバレンがスデーテン地方の割譲を拒否することを期待していましたが、チェンバレンは要求を飲んでしまいました。これにより、チェコスロバキアの解体が始まることになります。

1939年には、ボヘミア・モラヴィア(チェコスロバキアのチェコの地域)はドイツの保護領とされてしまいます。スロバキアは独立国として残るものの、実質的にはドイツの保護領となり、チェコスロバキアは完全に解体されてしまいました。

ヒトラーは次にポーランドを目指し、要求を拒否したポーランドに侵攻したことで、第二次世界大戦に突入していきます。

独立と社会主義化

第二次世界大戦が集結すると、チェコスロバキアは共和国として独立を回復しました。ポーランドやハンガリーなど周辺国は社会主義化したものの、チェコスロバキアは民主主義体制を取っていました。アメリカから打ち出されたヨーロッパの復興援助計画であるマーシャル=プランも、当初は受け入れていました。(画像:マーシャル・プラン ロゴ)

マーシャル=プランは、民主主義のヨーロッパ国に対する援助で、アメリカとしては東ヨーロッパの社会主義が広がるのを防ぐ狙いがありました。基本的には、西ヨーロッパでは受け入れられ、東ヨーロッパでは拒否された計画です。

チェコも当初は受け入れていましたが、ソ連からの圧力を受けて撤回することになります。同時に、1948年に共産党のクーデターが成功して共産党政権が樹立し、「チェコスロバキア社会主義共和国」となりました。西と東の境にあったため、東西冷戦の対立地域となってしまったことがうかがえます。

コルン銀貨

チェコスロバキアでは、10コルン、20コルン、50コルンなどの銀貨も発行されています。歴史的に重要な出来事を記念して発行されたコインも多く、デザインも豊富なので集めるのも楽しいでしょう。
(画像:1948 50コルン銀貨 プラハ蜂起3周年)

例えば、1948年に発行されたプラハ蜂起3周年記念の50コルン銀貨です。表面には自由の闘士が、裏面には国章である獅子の紋章が刻まれています。プラハ蜂起は、1945年の大戦末期に行われた、ドイツに対する赤軍の最後の攻撃です。

他にも、マサリク大統領の肖像が刻まれた20コルン銀貨、スロバキア蜂起10周年を記念した10コルン銀貨など、さまざまな銀貨が発行されています。
(画像:1937年 20コルン銀貨 マサリク大統領)

(画像:1954年 10コルン プルーフ銀貨 スロヴァキア蜂起10周年)

10コルン銀貨は今のところ値上がりの兆候は無く、状態の良いものでも数千円から購入できます。投資目的なら金貨の方が可能性がありますが、銀貨にもチェコスロバキアの歴史が詰まっているので、コレクターにとっては外せないのではないでしょうか。

次回はチェコスロバキアの民主化運動以降の歴史についてお伝えしていきます。

みなさんにアンティークコインで幸あれ!