COLUMN
コラム

2023.11.27

コイン解説&写真

ハンガリー

成功への第一歩!アンティークコイン投資・国の知識を深めよう「ハンガリー編②」

みなさんごきげんよう、アンティークコイン投資家の葉山満です。

前回に引き続きはハンガリーの歴史と値上がりしているコインなどコインコレクターや投資家に役立つ情報も紹介しお伝えしていきます。

ハプスブルク家による支配の影響や関わりのあるコインをお伝えしていきます。

ハプスブルク家による支配

1683年、オスマン帝国は再びウィーンに攻め込もうとしたのですが、他国からの支援を受けたハプスブルク家が退けます。この戦いによってオスマン帝国の軍事の古さが露呈し、ハプスブルク家側は「今ならオスマン帝国を叩けるのでは?」と考えます。ハプスブルク家は反撃を開始し、オスマン帝国が支配するハンガリーの土地を次々に制圧し、オスマン帝国に勝利しました。その結果、1699年のカルロヴィッツ条約でハンガリーはオーストリア=ハプスブルク家の領土となります。(画像:第二次ウィーン包囲)

支配を受け続けたハンガリーの独立に向かう歴史も、この頃から本格化していきました。1703年~1711年の独立戦争や、1848年の独立戦争では敗れたものの、独立運動が高まっていきます。

トランシルバニアの10ダカット金貨

近年値上がりが著しいコインの一つが、トランシルバニアの10ダカット金貨です。神聖ローマ帝国時代のコインで、発行枚数が少なく、さらに大型で珍しいコインであることなどから、1000万円以上の価格で取引されることも珍しくありません。

ハンガリーですら小国であり、トランシルバニアはさらに小さな国だったので、コインの発行枚数も少なく、現存しているものも少ないです。多少、そこまで状態が良くない金貨でも、値段がつくことが多いです。

コインの表面にはミーハイ・アパフィー1世の横顔が、裏面には王家の紋章が刻まれています。ミーハイ・アパフィー1世は珍しいコインを発行した人でもあり、さらに額面が高額な50ダカット金貨、100ダカット金貨も発行されています。三日月形など面白い形のコインも発行されており、ブダペストの国立銀行貨幣資料館でも見ることができます。ブダペストを訪れたら、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

セントジョージ ドラゴン退治 10ダカット金貨

セントジョージによるドラゴン退治は、キリスト教世界でとても縁起の良い図像です。この10ダカット金貨は、ハンガリーのクレムニッツア鉱山にある政府の造幣当局で制作されました。クレムニッツア鉱山は神聖ローマ帝国の中でも重要な金銀鉱山です。

セントジョージのドラゴン退治10ダカット金貨の発行枚数は数百枚程度と考えられており、現存する枚数はかなり少ないです。縁起の良いモチーフでデザイン性も高く、手放すコレクターが少ないため、あまり市場にも出回っていません。

アンティークコインのコレクターや投資家なら、一度はお目にかかりたいコインの一つでもあります。

オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立

1867年、オーストリアの皇帝フランツ=ヨーゼフ1世はハンガリーを懐柔するため、形式的には独立を認めました。「妥協」の産物であることから、この出来事は「アウスグライヒ(妥協)」と呼ばれています。
(画像:ハンガリー王に即位するフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト妃)

これにより、ハンガリーの王はフランツ=ヨーゼフ1世が兼ねるものの、オーストリアとハンガリーで別々に政府を持つ形式の「オーストリア=ハンガリー二重帝国」が成立しました。

なぜ妥協したのかというと、多民族国家のオーストリアがプロイセンとの普墺戦争で敗北した後、帝国内の諸民族の独立運動が高まったからです。ハンガリーだけでなく、チェコやスロバキアなどでも独立運動が高まっていました。ハプスブルク家はヨーロッパに広大な影響力を持っていましたが、当然さまざまな民族を統治することになったので、独立運動が高まると国家が危機に陥るのですね。諸民族を手なずける意味で、ハンガリーの形式的な独立を認めました。

また、皇后エリザベートの影響もあったとされています。彼女は政治に無関心で奔放な人でしたが、絶世の美女であり、言い方は悪いですが何をしても旦那に許されてしまうような人でした。しかし、普墺戦争の敗戦後に子どもとともに逃げたハンガリーのブダペストでハンガリー人と交流し、独立に理解を示しました。独立を擁護する内容の手紙をフランツ=ヨーゼフ1世に送っており、彼女の努力もハンガリーの独立に一役買ったと言われています。

次回は独立を果たしたハンガリーの第一次戦争以降についてお伝えしていきます。

みなさんにアンティークコインで幸あれ!